創業70年、巨大資本の荒波を越えた“生存の知略”と“再起のDNA”。「拡大より充実」の精神が育んだ、地元のインフラとしての誇り。
かつて日本を席巻した大手スーパーの再編が加速する中、兵庫県姫路市で創業した「銀ビルストアー」は、2026年5月15日に創業70周年を迎えます。 地方の中小小売が淘汰される時代に、なぜ私たちは、巨大資本の荒波にのまれず、独立自尊を守り抜けたのか。
それは、危機のたびに立ち上がり、お客様のために尽くしてきた社員一人ひとりの「情熱」と、社員を信じて現場を託してきた「人づくりの経営」にあります。物価高・物流不安の時代にこそ問われる「地元のインフラ」としての誇りと底力を公開します。
■ 逆境でこそ輝くDNA ― 1965年から1995年へ繋がれたバトン
私たちの歴史には、困難な時ほど「地域のために」と立ち上がるDNAが刻まれています。最初の大きな試練は1965年の本店全焼でした。しかし、全焼からわずか3ヶ月で仮設店舗の営業を再開。この驚異的な復興を支えたのは、地域住民や周辺の商店主たちでした。火災を通じて「銀ビルがなくなると街の活気が消える」ことを痛感した周辺の方々は、それまでの「スーパー進出反対」から一転、「街に不可欠なパートナー」として私たちを支えてくれました。この時築かれた固い信頼関係こそが、その後の店舗展開を支える土台となりました。
建替え後の銀ビルストアー
それから30年後の1995年、阪神・淡路大震災。当時、明石の西新町店で店長代理を務めていた20代の青年(現・取締役)は、被災し混乱する店内で立ち尽くしていました。しかし、地域の方々からの「何でもいいから分けてほしい、床に散乱したものでもいい」という切実な声に動かされ、翌日には店を開ける決断をします。「自分たちの仕事は、地域の命を支えるインフラなのだ」。この強い感動と責任感こそが、銀ビルストアーが70年生き残った真の強さです。
プチマルシェ西新町店
■ 伝説の「山手作戦」―時代の先を読んだ店舗戦略
銀ビルストアーが独立を貫けた最大の理由は、徹底して「大手と同じ土俵に立たない」戦略にあります。2代目社長・大塚茂木は、陸軍士官学校で学んだ地政学的な視点から、将来のモータリゼーションをいち早く予見。大手資本が駅前に集中する中、あえて中国自動車道などの主要幹線やインターチェンジ付近を戦略的に押さえる「山手作戦」を展開。車社会の到来を見越し、効率的な物流網と地域独占的な地位を、大手が進出する前に確立しました。
ボンマルシェ福崎店
「肉の銀ビル」の矜持 ― 効率化に逆行する“店内調理”へのこだわり
2代目社長の大塚茂木から、そのバトンを受け継いだ大塚英木(現会長)は、父の志を大切にしながらも、時代に合わせた大胆な変革を行いました。
大塚英木は、かつての流通王者・ダイエーへ身を投じて精肉技術を習得。しかし、持ち帰ったのは「大手と同じ効率化」ではありませんでした。大手チェーンがコスト削減のために「店外センターでのパック詰め」に移行する中、銀ビルはあえて手間のかかる「店内調理(インストア加工)」を死守。
「非効率であっても、鮮度と美味しさで嘘をつかない」 この職人気質の現場主義が、価格競争に巻き込まれない「代替不可能な価値」を生み出し、「肉の銀ビル」という圧倒的なブランドを築き上げました。
効率より「充実」を。ダイエーの逆を行く「ボンマルシェ」の誕生
大塚英木は、時代の激流の中で「大手と同じことはしない」という明確な意思を持っていました。大手の安売り競争を目の当たりにしながら、あえてその逆を行く「上質な空間と品質」を追求。フランス視察で、パリの市場文化に感銘を受け、日常の買い物に豊かさを添える「ボンマルシェ」ブランドを立ち上げるなど、常にお客様の「一歩先の喜び」を追求。「百貨店の品質と市場の鮮度」の両立を目指しました。
フランス視察をきっかけにボンマルシェが誕生
また、不採算店舗には「外科手術」のような速さで撤退・転換を判断する一方、意欲ある若手には「社長になったつもりでやれ」と大胆に権限を委譲。人的資本を最大の投資対象とする経営が、現在の強固な組織を作っています。
「人で負けたら終わり」― 笑顔の接客を支える、目に見えない資産
大塚英木の次男、五代目・大塚兼史社長へとバトンが渡されたとき、そこには実質「無借金経営」という、地域や従業員に対する最高レベルの信頼の証が残されていました。 この健全な財務体質こそが、今の物価高や供給不安という困難な時代にあっても、地域のお客様の暮らしを末長く守り続けるための「底力」となっています。地域スーパーは単なる小売店を超えた「生活インフラ」です。
現在、銀ビルストアーは「30店舗・300億円」のビジョンを掲げ、ブランドの若返りとデジタル活用を加速させています。移動スーパーや即日配送のサブスク型ネットスーパーによる買い物難民の救済や、子ども食堂への支援。これらはすべて、創業時の8人が焼け跡で誓った「現場の声を聞き、地域に寄り添う」という誠実な姿勢のアップデートです。私たちはこれからも、「人で負けたら終わり」という信念を胸に、播州の誇りとして次の100年を切り拓いてまいります。
ボンマルシェ白浜店 オープン当時