令和8年3月30日(月)、熊本大学工学部1号館2階共用会議室Aにて、熊本大学永青文庫研究センターの今村 直樹 准教授が研究成果について説明する記者発表を実施しました。
・幕末期の細川家文書「口書(くちがき)」の分析から、藩領外で欠落(かけおち)・出奔した当該期の熊本藩領民の実像を明らかにしました。幕末期、熊本藩は京都の警衛を命じられたことから、武士の従者として多くの武家奉公人(足軽・中間(ちゅうげん)・小者)が上京し、その結果、京都での欠落者が増加しました。
・欠落者の多くは、日雇い労働者となって生計を立てましたが、力士になる者や、商家で脅して金品を奪う押借りなどを行い、治安を悪化させる者もいました。
・特徴的な事例として、武士への取り立てを勧誘されて江戸まで出奔した百姓や、大坂で欠落し、新選組に入隊した郷士(在御家人)がいました。
熊本大学永青文庫研究センターの今村直樹准教授らは、2023年度から科学研究費補助金の交付を受け、細川家文書「口書」の総合的研究に取り組んできました。
「口書」とは、熊本藩の刑事法制担当部局(刑法方)が作成した史料群です。庶民を主な対象として、藩領内外で発生した犯罪・事件などの被疑者の供述調書が収録されています。供述調書には、犯罪や事件に至る経緯のほか、被疑者の心情や周囲の関係も記されており、情報量は極めて豊富です。
今村准教授らが、幕末期(文久3年〔1863〕~慶応3年〔1867〕)の細川家文書「口書」(全10冊)を分析したところ、以下の新事実等が明らかになりました。
1.欠落・出奔(以下、「欠落」)とは、無届での逃亡・失踪・移住を意味します。熊本藩でも、江戸時代を通じて欠落は多くみられました。しかし幕末期になると、京都における武家奉公人などの欠落の事例が急増します。その理由は、朝廷から京都警衛を命じられた熊本藩が、文久2年から多くの武士を京都派遣したことにともない、その従者として多くの武家奉公人も上京したためでした。
2.供述調書によると、藩領外での欠落の主な理由は、主に藩邸の門限などへの遅刻や、問題を起こして郷里の家族や親族に合わせる顔がない、というものです。欠落後、彼らの多くは、日雇稼ぎに従事しますが、相撲取りに弟子入りする者もいました。また、京都での人斬りの横行がもたらす町人の恐怖心に付け入り、押借りを行った足軽も確認できます。
3.幕末期の時代相を象徴する事例として、武士になることを目指し、江戸まで出奔した百姓や、大坂で欠落した後、新選組に入隊した郷士があげられます。前者の欠落理由は、水戸徳川家から武士に取り立てられると、知人に勧誘されたためですが、実際は強盗集団の仲間集めのための勧誘でした。後者は、江戸に留学し、福澤諭吉の英学塾で学んでいた郷士が、遊郭でトラブルを起こして捕らえられ、国許に移送される途中の大坂で欠落し、食べていくために新選組へ入隊したものです。
幕末期を対象とする研究で、最も大きな蓄積を誇るのは政治史研究といえますが、近年の研究は政局分析に特化しがちとなっており、政局の周辺にある社会・経済などの諸要素が捨象されている、との批判がなされています。
本研究は政治史研究ではありませんが、幕末期の欠落者の実像を明らかにすることで、当該期の政治変動(京都警衛、浪士問題、新選組など)と彼らの動向が深く結びついていた点を明らかにしました。幕末期の政治変動は、積極的に「国事」に関わろうとした人びと(とくに武士)だけでなく、それとは異なる庶民の生のあり方にも大きな影響をおよぼしていたのです。
「口書」には、欠落以外にも多くの事件・犯罪に関する供述調書が収録されています。今後は分析対象の時期を広げつつ、支配領域や身分集団を越境(移動)することとなった近世後期の庶民の実像について、解明を進めていく予定です。
なお、本研究の詳しい内容は、今村直樹「欠落・出奔の幕末社会―細川家文書『口書』を素材に―」として、2026年3月末に刊行される『人文科学論叢』第7号(熊本大学大学院人文社会科学研究部〔文学系〕発行)に掲載予定です。
※欠落…江戸時代、貧困、悪事などの事情で逃亡し、行方をくらますこと。
※武家奉公人…江戸時代、武士の従者であった若党・足軽・中間・小者などの総称。このうち戦闘要員は若党・足軽で、ほかは武器・物資の運搬などに、また平時には家政上の雑役に従事した。
熊本大学永青文庫研究センター担当:准教授 今村 直樹電話:096-342-2304E-mail:ikoan※kumamoto-u.ac.jp(迷惑メール対策のため@を※に置き換えております)