本研究では、オキシトシン受容体(※1,2)を発現する視床室傍核(PVT)(※3)神経細胞が、社会性行動や恐怖記憶の消去(※4)に関与することを、マウス実験とヒト臨床データの統合解析により明らかにしました。化学遺伝学(※5)的操作により、これらの細胞が社会性行動及び恐怖記憶の消去を促進・抑制の両方向に調節することを示しました。また、唾液オキシトシン濃度と視床微細構造、自閉スペクトラム症(ASD)(※6)症状との関連性も確認されました。
奈良県立医科大学の山室和彦センター長(健康管理センター・精神医学講座)、池原実伸助教(精神医学講座)らの研究グループは、オキシトシン神経が社会性(※7)と不安をつなぐ脳の仕組みを、マウスとヒトを対象とした研究により明らかにしました。
本研究では、社会性行動や恐怖反応に関与するとされるオキシトシン受容体(OTR)を発現する神経細胞の機能を明らかにするため、マウスとヒトを対象に多角的な解析を実施しました。
まず、OTRを発現するマウスのPVTの神経細胞を化学遺伝学的手法で選択的に操作した結果、これらの神経細胞の活動を抑制すると社会性が低下し、恐怖記憶の消去が障害される一方、活動を活性化すると恐怖記憶の早期消去が促進されることが示されました。対照的に、前頭前野(※8)のOTR発現神経を操作しても、社会性や恐怖反応には影響を与えませんでした。
さらに電気生理学的解析により、オキシトシン投与がPVT神経の発火様式を持続性発火へと偏らせ、興奮性を高めることが明らかになりました。
ヒトを対象とした研究では、ASD児を含む青年を対象に、唾液中のオキシトシン濃度と脳構造との関連を検討しました。その結果、唾液オキシトシン濃度が視床の神経微細構造(※9)指標(NDI)と有意に関連し、NDIはASD症状の重症度(特に注意の切り替えやコミュニケーション困難)とも関連することが示されました。
これは、末梢のオキシトシン濃度が視床構造を介して社会性や不安に関連する可能性を示唆するものです。
以上の成果から、OTRを発現するPVT神経は社会性と恐怖調節の中枢的役割を担っており、精神疾患における病態理解と新たな治療標的としての可能性が示されました。本研究は、マウス実験とヒト臨床データを統合することで、オキシトシンの回路特異的な役割を提示し、ASDや不安障害に対する治療的介入の可能性を広げる知見を提供しています。
社会性と不安は心の健康に大きく影響します。人との関わりを楽しめない、あるいは強い不安や恐怖を感じると、孤立やストレスが増し、精神的な不調につながることがあります。ASDや不安障害、うつ病などの精神疾患では、社会性の低下と恐怖の制御の難しさが同時にみられることが多く、両者がどのように脳内で結びついているかは長年の課題でした。
その鍵として注目されているのが「オキシトシン(※1)」です。オキシトシンは、出産や授乳に関与するだけでなく、人に安心感や信頼感をもたらす作用があり、「愛情ホルモン」とも呼ばれています。オキシトシンを投与すると、一部のASDの方で対人関係が改善することが知られていますが、すべての人に効果があるわけではなく、なぜ効く人と効かない人がいるのか、その仕組みは解明されていませんでした。
脳内で特に注目されているのが「PVT」という部位です。PVTはストレスや不安に関わると同時に、社会行動や学習、報酬にも関与することが分かっており、「社会性」と「不安・恐怖」の両面を結びつける中枢的な役割を持つ可能性があります。しかし、その中にあるオキシトシン受容体を持つ神経細胞がどのように機能しているのかは、これまで十分に研究されていませんでした。
本研究では、マウスを用いてこれらの神経を化学遺伝学的に操作し、社会性や恐怖記憶の消去への影響を調べました。さらにヒトの臨床研究として、唾液中オキシトシン濃度と脳構造の関連を解析し、ASD症状との結びつきを検討しました。動物実験とヒト研究を組み合わせることで、オキシトシン神経が社会性と不安をつなぐ仕組みに迫ろうとしたのが、本研究の背景です。
本研究ではまず、マウスを用いてPVTのオキシトシン受容体を持つ神経細胞を化学遺伝学的により選択的に操作しました。その結果、これらの神経の活動を抑制すると社会性が低下し、恐怖記憶の消去が妨げられることが分かりました。一方、活動を活性化すると恐怖記憶の早期消去が促進されることが示されました。ただし、社会性は改善は認められず、抑制時のみ明確な低下が確認されました。
対照的に、前頭前野のオキシトシン受容体を持つ神経を操作しても、社会性や恐怖反応には影響が見られず、PVTが特異的な役割を担っていることが明らかになりました。さらに電気生理学的解析により、オキシトシン投与がPVT神経の発火様式を持続的なものへと変化させ、全体として興奮性を高めることが示されました。
ヒトを対象とした研究では、ASDの子どもと健常児を比較し、唾液中オキシトシン濃度と脳の微細構造との関連を解析しました。その結果、オキシトシン濃度が視床の神経密度指標と有意に関連し、この指標はASD症状の重症度(特に注意の切り替えやコミュニケーションの困難さ)とも結びついていることが分かりました。これは、末梢のオキシトシン濃度が視床の構造変化を介して社会性や不安に関わる可能性を示唆するものです。
これらの結果を総合すると、PVTのオキシトシン受容体を持つ神経が「社会性」と「恐怖記憶の調節」の両方に関与する中枢的役割を担うことが示されました。動物とヒトの研究を統合することで、オキシトシンが脳内で社会行動や不安をどのように調節しているのかが明確になり、ASDや不安障害など精神疾患に対する新たな治療標的となる可能性が示されました。
視床室傍核のオキシトシン受容体発現ニューロンは、オキシトシン、社会的行動、恐怖調節をつなぐ中心的ハブとして働きます。 ↓詳細図は下記ダウンローリンクより↓
※1 オキシトシン:人との信頼や安心感を深める働きを持つ「愛情ホルモン」。
※2 オキシトシン受容体(OTR):オキシトシンの信号を受け取る神経のスイッチ。
※3 視床室傍核(PVT):社会性や不安をつなぐ脳のハブ。
※4 恐怖記憶の消去:恐怖を「危険ではない」と学び直し弱める仕組み。
※5 化学遺伝学(DREADD):特定の神経の活動を薬で操作できる技術。
※6 自閉スペクトラム症(ASD):社会的コミュニケーションが難しい発達障害。
※7 社会性:他者と関わり関係を築こうとする性質。
※8 前頭前野(mPFC):意思決定や感情調整を担う脳の領域。
※9 神経微細構造(NDIなど):脳のMRIで神経の密度を推定する指標。
奈良県立医科大学 健康管理センター・センター長、精神医学講座(兼任)
E-mail:muro"AT"naramed-u.ac.jp ※お手数ですが、「"AT"」を@に変更してください。
Email: sangaku"AT"naramed-u.ac.jp ※お手数ですが、「"AT"」を@に変更してください。