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株式会社ポプラ社は、伊藤亜和さんのエッセイ『変な奴やめたい。』を11月19日(水)に発売いたします。 |
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私は変な奴だ。変な両親に育てられ、変な男と付き合い、変な友達と遊んで暮らしてきた。もう嫌だ。変な奴はもうやめたいのだ―― |
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私が私でいるだけなのに、それ自体が悪いことのように思えていた―― |
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noteに投稿したエッセイ「パパと私」がジェーン・スー、糸井重里らに絶賛され脚光を浴び、またたくまに大注目の書き手となった著者が、恥ずかしい子ども時代を振り返り、今の自分を見つめなおす。
セネガル人の血を引くルーツ、容姿からくる周囲の勘違い、うまくコントロールできない自意識……。「変な奴」をやめたいと願っているのにやめられない葛藤を、ユーモアをまじえて綴るエッセイ集。 |
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パンサーの向井慧さんも下記のように推薦文をよせてくださいました。 |
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「変なやつになりたかった。もっと言うと、本気で変なやつをやめたいと願う変なやつになりたかった。それが僕がなりたかった面白い人だから。そして、この本を読んだら伊藤亜和になりたいと思った。」 |
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大好評の連載に、5本の書下ろし、note記事3本、未書籍化エッセイ2本を加え書籍化 |
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”変な奴”になったルーツを語る「変な奴やめたい」。戦隊ヒーローに憧れ、ことあるごとに気絶を試みる「気絶したい」。大事なところでどうしても失敗してしまう自分を書いた「本番に弱いにやめたい」。自分は大事な思い出としてずっと覚えているのに、友人はそのことをすっかり忘れている悲しさを書いた「3人の秘密の遊び」。飼い猫への信頼と愛情が詰め込まれ、涙なしでは読めない「Neko, Moi, Neko」。”変な奴”である自分を受けいれた「服とルール」……。 |
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自著の中で、もっとも「自分」に焦点をあてたエッセイ集です。 |
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■「はじめに」より |
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最初におかしいと思ったのは、やはり自分の容姿についてである。肌はこげ茶色で、髪はチリチリ。車の窓に映った自分の顔を眺めながら、私は子どもながらに「ものすごく珍しい容器に入ってしまった」と困惑していた。 |
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生まれ変わりとか、生まれる前の記憶とか、そういったものを特別信じているわけではないけれど、もし生まれる前の“魂〞のようなものが雲の上でこの体を選んだのだとしたら、一体どういう考えでこれを選んだのか問い詰めたい。貴重な一度きりの人生で、よくもまぁふざけてくれたなと説教してやりたい。そう考えると、私は「変な容姿に生まれたから変」なのではなく、「変だからこの容姿になった」とも言えるかもしれない。 (一部抜粋) |
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■「本番に弱いのやめたい」より |
私が生み出した「準備しない作戦」は行き当たりばったりで発想する自分の性格によく合っていたようで、とくに人前でマイクを使って話すプレゼンなどの場で役に立った。もともと緊張が顔に出にくく口調がゆっくりとしているのもあって、思いつくままに話していると周囲は私を「自信がある人」のように錯覚してくれる。なんでも「それっぽく聞こえる」話し方のおかげで、私の発表はだいたい評価してもらえるようになった。 |
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ただ、やはり準備せずになんとなく喋っているせいで、本当に言いたかったことはたいてい言えないまま終わってしまう。だからといって、本当に言いたいことを決めて準備しておくと、今度はそのことばかりが気になって他がダメになる。結局今日までずっと、そういう“なんとなく〞をやってのけているような感じがする。 |
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唯一、文章を書くという行為だけが私をそこから救い出してくれる。文章は何度も書き換えられるし、いくら時間がかかってもいい。文章は本番に弱い私にとって、たったひとつ味方をしてくれる表現なのかもしれない。(一部抜粋) |
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■「服とルール」より |
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小さい頃から、ルールを守ることに敏感だった。授業中はおしゃべりをしない、廊下は走らない、ポイ捨てはしない。誰にも後ろ指をさされたくなかったし、目立ちたくもなかった。そう、目立ちたくなかったのだ。私のみてくれはどこにいてもみんなと違うから、いつもひとりだけ着ちゃいけない服を着ているみたいだと思っていた。私が私でいるだけなのに、それ自体が悪いことのように思えていた。だから、それ以上の悪いことはしないように、一生懸命に周りと合わせようとしていた。 |
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みんなと違うのは悪いこと。誰かがそう言っていたわけでもない。だけど、毎日向けられる無数の視線による緊張を飲み込むには、そう考えるしかなかった。変な奴がいたら見てしまうのは当然だ。誰も悪くない。悪いのは、変な私。矯正しなければ。(中略) |
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ファンデーションもストッキングも、自分に合う色はなかなか見つからないし、ヘアスタイルも思うようにならなくて、流行りの女の子らしい服も似合わなかった。白浮きした顔にちぐはぐな服、これじゃあまるでピエロみたいだ。みんなの真似をしても、ますますおかしくなっていくだけだし、だからといって、世間の広告にあるようなカラフルな「個性的」になりたいわけじゃない。私はただ、ごく自然に、ここにいたいだけなのだ。もったいないとか、自分を愛してとか、最悪だ。(一部抜粋) |
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伊藤さんからお借りした100枚以上の幼少期の写真の中から47枚を厳選して収録。 |
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各エッセイの前にはタイトルと一緒にモノクロ写真を、エッセイの合間に4か所4ページずつカラー写真を配置しました。きっと伊藤さんの幼いころのアルバムを開いているような気持ちになります。 |
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作者とは年齢も境遇も環境も全然違うけれどなぜか共感できる。 |
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(水嶋書房くずはモール店・井上さん) |
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自分のやるせなさや不器用さを許してもらえるような救いを感じました。 |
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(紀伊國屋書店福岡本店・宗岡さん) |
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「私はこの本を好きになる。おもしろいにきまってる」とタイトル表紙で確信することがしばしば。大量のプルーフの中で光ってみえました。初っ端からサイコーです。薄暗いスタバで爆笑しました。 |
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(紀伊國屋書店梅田本店・原田さん) |
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いつかは「自分は自分」と受け入れられるようになる日が来るのかもしれない。そんな希望とご本人の恥をソッと披露してくれた一冊。 |
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(正和堂書店・猪田さん) |
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コンプレックスさえユーモアに変える文章力のうまさ。 |
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(蔦屋書店ひたちなか店・安さん) |
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伊藤亜和(いとう・あわ) |
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1996年、神奈川県横浜市生まれ。文筆家。学習院大学文学部フランス語圏文化学科卒業後、noteに投稿したエッセイ「パパと私」が話題となり、創作大賞2023 メディアワークス文庫賞を受賞。著書に『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)、『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)、『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)がある。本書は4作目となる。子どもの頃の好きな食べ物はさきいか、得意科目は道徳、あだ名はマツコ。 |
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私は変な奴だ。変な両親に育てられ、変な男と付き合い、変な友達と遊んで暮らしてきた。もう嫌だ。変な奴はもうやめたいのだ――
「変なやつになりたかった。もっと言うと、本気で変なやつをやめたいと願う変なやつになりたかった。それが僕がなりたかった面白い人だから。そして、この本を読んだら伊藤亜和になりたいと思った。」
私は「変な容姿に生まれたから変」なのではなく、「変だからこの容姿になった」とも言えるかもしれない。
唯一、文章を書くという行為だけが私をそこから救い出してくれる。
私のみてくれはどこにいてもみんなと違うから、いつもひとりだけ着ちゃいけない服を着ているみたいだと思っていた。私が私でいるだけなのに、それ自体が悪いことのように思えていた。