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授賞式の様子 左)磯野義人氏、右)金箱温春・日本構造家倶楽部会長 |
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大型膜面構造物(テント構造物)や土木・物流資材などを手がける太陽工業株式会社(東京本社:東京都世田谷区、大阪本社:大阪市淀川区、代表取締役社長:能村祐己)の元技術本部長である磯野 義人氏(いその よしと、90歳)は、構造デザインの活性化を図り建築文化の発展に寄与した功績により、「2025年 第20回日本構造デザイン賞 松井源吾特別賞」を受賞しました。磯野氏は、2025年9月5日(金)日建設計⽵橋オフィス・NSホール(東京都千代田区)にて行われた授賞式に参加し、記念講演を行いました。 |
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記念講演の様子 |
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日本構造デザイン賞は、早稲田大学の故・松井源吾教授の退官を機に1990年に創設された「松井源吾賞」を継承し、2006年に発足した表彰制度です。主催・運営は、日本構造家倶楽部(会長:金箱温春、東京都世田谷区)が行っています。 |
構造設計者の優れた業績が社会的に評価される機会が乏しい状況を改善する-そのような「松井源吾賞」の理念を受け継ぎ、同賞は毎年、独創的な技術を用いて社会性や文化性のある建築作品の創造に寄与した個人、または構造家としての活動・業績が社会的・文化的に顕著な個人を表彰しています。 |
その中でも「日本構造デザイン賞 松井源吾特別賞」は、構造デザインの発展に長年にわたり大きく貢献した個人に贈られる特別な賞です。 |
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磯野氏は1965年から1993年まで太陽工業に在籍し、1970年の大阪万博ではアメリカ館の技術主任を務めました。膜構造黎明期に国内のみならず世界を舞台に活躍する技術者とも協働し、膜構造の基盤となる技術を確立した功績は、膜構造の発展に今も受け継がれています。また定年退職後も研究活動を継続し、空間構造の調査のために世界26か国・500都市を訪問しました。その成果は「『空間構造』資料編」(坪井善勝記念講演会実行委員会 発行)として刊行されています。こうした長きにわたる膜構造および空間構造分野への多大な貢献により、今回の受賞に至りました。 |
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選考評 岡村 仁(選考委員長・構造家) |
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磯野義人氏は日本万国博覧会(大阪万博)EXPO‘70においては、ニューマチック構造(空気膜構造)の「アメリカ政府館」の技術主任、1980年には「東京ドーム」の工事部長として活躍され、日本の膜構造の最先端の技術者として膜構造技術を牽引し、新しい建築構造空間を作り上げてきた。 |
氏のユニークであることは、本業の膜構造の仕事が一段落した後、空間構造をめぐる世界巡礼の旅に出たことである。まだインターネットなどの情報網がないころ、世界に散らばる有名無名の空間構造建築は限られた書籍や情報を通じてしか目に触れる機会がなかったが、氏の活動により貴重な写真や情報が収集された。そしてそれらをさまざまな建築構造の研究誌、雑誌、データベースなどに発表し、また提供・協力いただくことで、空間構造の啓蒙活動に大きく寄与いただいたことは大変意義深いことである。 |
このように膜構造を黎明期から支え発展させ、空間構造の啓蒙活動に尽力された氏の業績は、構造デザインの発展に長年貢献し顕著な活動をされた個人を表彰する本会松井源吾賞にまさにふさわしく、よって2025年本賞を授与することとした。 |
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磯野 義人氏の受賞コメント |
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この素晴らしい栄誉を90歳になっていただけるのは大変光栄なことです。大変お世話になったフライ・オットーさん、ウォルター・バードさん、坪井善勝先生、川口衞先生をはじめとする構造設計の専門家や学術研究の方々に深く御礼申し上げます。また、長年ご指導いただいた能村光太郎元社長や会社の皆さまにも改めて御礼申し上げます。 |
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磯野 義人氏のおもな担当作品 |
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「東京スタジアム・アイススケート場」(1965年) |
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建築設計:丸川建築設計事務所 |
構造設計:東京建築研究所 |
施工:東洋製作所 |
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「日本万国博覧会(大阪万博)EXPO’70 アメリカ政府館」 |
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基本設計: |
建築:Davis, Brody, Chermayebb, Geismar, de Harak, Ass |
構造:David Geiger, Horst Berger |
実施設計:(株)大林組建築本部設計部 |
施工:(株)大林組 |
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磯野 義人氏の著作 |
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『天幕─遊牧民と狩猟民のすまい─』 |
監修:梅棹忠夫 |
著者:トーボー・フェーガー |
訳者:磯野義人 |
発行所:エス・ピー・エス出版 |
初版:1985年 |
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『空間構造』資料編(第3巻~第11巻) |
発行者:坪井善勝記念講演会実行委員会(代表:青木繁) |
提供:磯野義人 |
発行:1995~2005年 |
印刷所:ニッセイエブロ(株) |
表紙パース作成:川崎一雄 |
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磯野 義人氏の略歴 |
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1935年 千葉県銚子市生まれ |
1955年 千葉県立銚子商業高校(夜間)卒業 |
1958年~59年 英語学校(夜間)に通う |
1960年~64年 埼玉県所沢の在日米軍陸補給厰(ショウ)に就職 |
1960年~65年 工学院大学工学部電子工学科(二部) |
1965年 太陽工業株式会社へ入社し社長室へ配属 |
1965年 旧東京スタジアム・アイススケート場 技術主任 |
1968年 万国博覧会 アメリカ館 技術主任 |
1978年 米国駐在 |
1981年 取締役就任 |
1988年 設計部長 |
1991年 技術本部長 |
1992年 常務取締役就任 |
1993年 定年退職 その後2年間顧問 |
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太陽工業株式会社について |
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太陽工業は、経済性、施工性、透光性、デザイン性に優れた大型膜面構造物のリーディングカンパニーです。「膜の無限の可能性を引き出し、お客さまに感動と快適な環境をお届けします。」の企業理念のもと、軽くて丈夫な素材の特性を活かし、巨大ドームの屋根に象徴される各種建築事業をはじめ、土木や物流、さらには環境分野などにも事業を展開し社会の安全・安心を支えています。 |
イベントコンサルティングのTSP太陽株式会社ならびに施設運営のアクティオ株式会社をはじめとするグループ会社とともに「世界を、やわらかく。未来を、あたたかく。」することを目指しています。 |
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